サイケデリックスの使用に自殺リスクはあります。
 これは都合が悪いため「専門家」たちもまともに研究しようとしない問題です。
 今までほとんどこの問題に触れずにいました。それは語らないことが最もよいと思っていたからです。
 リスクを知ることで不安を感じるケースが増えたり、知識が無意識的な効果を及ぼしたりすると考えていたからです。今でもその考えは変わっていません。
 無知な方が安心なトリップができます。初心者がバッドトリップしないと言われているのもこれと関係があります。経験や教養がなさすぎてリスクを理解できなかったら、リスクを知らないことになり、不安になることもないからです。
 第一、私は「自殺」という字面からして嫌いですし、正直たくさん使いたい言葉ではない。
 しかし、そろそろ我々は自殺の問題を、面と向き合って考える必要がある。
 反薬物情報や薬物に関する(間違いだらけの)本では、よく幻覚剤使用が自殺に行き着くと書いてあります。私は昔はこれを「悪質な脅し」と呼びましたが、実際に自殺する人がいる以上、悪質でも脅しでもないなと考え直さなければいけない時が来たと思っております。ここまでサイケ批判をしてきたので、徹底的に最後までやりましょう。

 サイケ使用で自殺する人の割合は分かりません。一切データが存在しないと思います(そもそもどうやって統計を取る?)。おそらく、かなり低いでしょう。かなり低いです。それでも、どれだけ低いとしても、ゼロでない限りは考える必要があります。
 ところで「自殺に行き着く」という表現が誤解をもたらすと思います。行き着くというと、慢性サイケ乱用者が最終的に自殺するかのような言い方ですが、私の予想では、大部分のケースにおいて自殺は一回のトリップだけで決定されると思います。トリップそのものの苦痛があまりにも大きいことによる場合が多いと思うのです。

 私は昔は、もともと自殺願望がある人しか自殺しないと言いました。これはある程度の事実を含むとしても、100%の事実ではありません。あまりに苦痛が大きい状態では願望もクソもありません。誰もが苦痛の終了を願うことになり、そのための行動をとります。弱いからではないのです。
 世間では、自殺する人は勇気があるなどという人がいますが、これは100%の間違いです。自殺の方程式に勇気という項はありません。一切関係ないのです。逆に、自殺は現実逃避なので勇気が「ない」人がやることだという人もいます。これも同じく間違いになります。

  ここまでの「サイケ批判」記事で、私はバッドトリップの問題はほとんど触れていません。バッドトリップがなくてもサイケデリックスは心理学的リスクがあるので、それを論じてきました。今回は、少しバッドトリップの話をします。バッドトリップはトラウマや自殺の原因になりうるもので、サイケ使用のもう一つのリスクです。




・苦痛による自殺
 最も理解しやすい自殺は苦痛による自殺。肉体的苦痛の場合もあれば精神的苦痛の場合もある。
 広い意味では、全ての自殺は苦痛によるものではあるが、ここで言っているのはもっと狭義のもので、瞬間的な苦痛、現時点での苦痛の大きさに耐えられない状態のこと。

 戦場や拷問現場では、あまりの痛みの激しさに「殺してくれ」と懇願する人がいる。(気分の良いものではないので、具体的なケース報告は控えましょう)これは映画や漫画の創作ではなく実際に存在する。
 精神的な苦痛でも同じことが起こるが、自殺するほどの精神的苦痛となると、基本的にパニック発作やその他精神異常くらいしかないと思われる。
 パニック発作を知らない人は字面だけみて、大したことがないと思うだろう。一般的な言語感覚では、鍵や財布をなくしたような気持ちをパニックと言ったりするが、精神医学的に言うパニックはそういうものではない。基本的に命の危険に関わる時の反応で、それ以上はないような恐怖感がある。
 参考までに、退役軍人のスティーブン・ユンガー氏の話を聞いてみるといい。彼はアフガニスタンで戦闘を経験した後米国に戻り、地下鉄で突然パニック発作を経験した。その発作で感じた恐怖はアフガニスタンで経験した恐怖より大きかった(!)と彼は言う。これを聞けばさすがに、パニック発作が大したことがないという考えは改めなければいけないことが分かるはずだ。
 筆者である私自身、パニック障害を発症した人なのでその恐ろしさは身をもって知っている。(ちなみに、不安パニック障害の経験に関する書きかけの記事はあるのだが、自分でも無意識的に避けたい、思い出したくないという理由からか、完成させる予定も公開する予定も今のところはない)

 強烈なバッドトリップのピークは基本的にパニック発作である。その恐怖感はあまりに激しいので、個人はそれをどうやって終わらせるかだけに意識が集中してしまう。他のことは何ひとつ重要でない。時間は引き延ばされ、ほとんど進まなくなる。1秒1秒が長く、とても激しい自己との戦いになる。誰も助けてはくれないし、助ける術もない。抗不安薬があれば確実に飛びついて飲むが、ない場合は救急車を考えることになろう。逃げたくなるのだが、パニック発作は外的な危険と違って、脳内にあるため、どこへ行こうと逃げることが出来ない。次第に、自分の肉体から逃げるしかないということに気が付くが、これがとても危険な知らせである。



・希死念慮の心理学?

 永久に続くかのような苦痛の中にいるとき、頭の片隅が、「終わらせる方法」を呟いてくる。これは英語ではsuicidal thoughts(自殺的思考)と呼ばれており、おそらく日本語では「希死念慮」がこれに相当する。
 頭の片隅が、自我に向かって、「こうやったら苦痛を終わらせられるよ」と呟いてくるのだが、自我が政権を握っている間は、まだ自殺することはない。自我が、自殺を薦めてくるコンプレックスを非難して押さえ込むことができるからだ。

※ここでコンプレックスという言葉は、一種の人格のような意味で使っている。自我ほどの権力はないが、自我に影響を与えようとする一つの人格である。(ユングは、人が複数の人格から出来ているものと考えており、自我も一つのコンプレックスである)通常、健常者の場合コンプレックスは意識にまで侵入してこないが、精神病や不安・パニック発作では侵入してくる。

 私の考えでは、自我は自己保存を第一に務めるので、自我が政権を握っている間は自殺できない。問題は、コンプレックスが自我から「政権を奪った」時だ。この時に自殺が可能になるのではないかと思う。
 実際に、バッドトリップやパニック発作のピークでは、精神や身体の主導権を失っているように感じる。この感覚は非常に恐ろしい。そして酷い場合は実際に主導権を失うところまで行く。

 私自身の経験では、本格的な希死念慮があったとき、自分の頭に向かって中指を立てて、「バカヤローお前のいう通りにはしないぞ、何がなんでも絶対生き残って見せる」、と自我で反発したことがある。
 希死念慮というと、その人が弱い人で、死にたがっていると思われがちだが、実際は弱くもないし死にたがってもいないのではないかと思う。死にたがっているのは自我に反する別の人格であるコンプレックスで、自我本人ではない。自我本人が死にたくなった時には実際に死ぬことになる(死にたいと言う人の大半は本音では死ぬ気がないが、それは自我から発した言葉ではないからだ)。
 なので、死なないために必要なのは、コンプレックスを抑え込める強い自我なのではないかと思う。もし自我が弱くて、コンプレックスを押さえ込めなかったら、すぐにコンプレックスに政権を握らせることになり、その場合結果として憑依されたような「衝動的な自殺」になってしまうのではなかろうか。

 私は不安・パニック障害が一番酷かった時期には何度か希死念慮を経験した。最も不愉快な症状の一つだった。死を薦めてくるコンプレックスを、私は一時期サタンと呼んでいた。本当に悪魔か何かに憑依されたような気分になるから妥当な表現だと思った。一度、目を閉じた時にサタンの視覚化イメージを見たことすらある。(「ギーガーが描いたデスタムーアのような横長の顔」という説明しか思いつかない。ゆらゆらと動いていた)
 私がパニック障害に苦しんでいた時、何を最も恐れていたかというとサタンに負けることを恐れていた。絶対にずっと勝ち続けられるかは分からない。誰もそんな保証をしてくれない。今日は勝てたと思っても明日は?来週は?来月は?サタンがついに強力になって自我を打ち負かしたら、なす術がなく終わりだ。それを最も恐れていた。



 ・憑依
 話題が逸れるが、未開人などが精霊や霊に憑依されるのもある種のコンプレックスが自我から権力を奪った状態として捉えられる。近代人は自我が強力になったため、ほとんど憑依的現象を経験しなくなった。なので今ではあまり知られてないカルト現象になっている。
 あるアフリカの村の殺人事件で、殺人犯が「悪魔に憑依されていた」と発言するのを見たことがある。インタビュワーはそれを低レベルな言葉としてほとんど無視していたが、私はおそらく本当に憑依されていたんだなと思った。
 ユングによると、未開人はすぐに意識を失う(すぐとは言っても、せいぜい生涯に一回くらいだと思う。たった一回でも、平均してほぼゼロに近い現代人よりは多い)。これは人類学者フレイザーが「霊魂の危難」と呼んだものである。霊魂が抜け出てしまった人は死んでしまうと信じられていた。
 シャーマンなどは、おそらく自力で憑依や脱魂ができる人だった。動物の霊が憑依して動物のようになるシャーマンは、原始的なコンプレックスを自力で呼び出せるということなのだろう。我々が「未開」などと呼んでいる人たちが、我々には想像もつかないよいうな精神操作技術を持っていることに我々はもっと注目するべきだろう。
 Dエヴェレットの著書「ピダハン」では、アマゾンのピダハン族が「早口」と呼ばれる精霊に憑依されて、早口で喋ったり普段と違う行動をすることが報告されている。ピダハンは、早口などの精霊に憑依されている時の記憶がない(または記憶がないふりをしている。たぶん本当に記憶がない)。別人格になっているかのようだ。ちなみに、この本は大のおすすめです。





 



・虚無とカオス

 さて自殺には様々な心理や動機があると思うので、一つの説明で満足してはいけない。自殺の理解の難しいところは、そもそも経験がある人が少ない(成功した人は経験談を提供できないので、本当に自殺の真理を知りつつ経験談を言えるのは未遂の人だけになる)。私が頑張って考えたところで無駄だろう。ということで、実際のサイケによる自殺未遂ケースをみてみたい。

 以前X氏に投稿して頂いた「ハイドースアヤワスカレポート」からこの部分を見てみる。

 ・・「理性をも全てが無くなった状態になり、あることに気がついた

人間が本能的に感じる、1人で居る事の孤独感だ

他の物は無くても1人でどうにでも出来る

でも孤独だけは満たす事が出来ない

この絶望感は物凄い

孤独の先に考える事は死ぬという選択だ

でも自分で動く事も出来ず死ぬ事も出来ない」・・

 明確に希死念慮や自殺願望があったかはこの記述だけでは定かではないです。このような状態は、サイコノートなら誰もが経験のあることだと思う人もいるでしょう。ですがここが重要な研究対象です。
 結果的に本格的な自殺願望まで行きつかなかったとしても、その入り口がどこにあるのかの把握から始めるのは効果的だと思います。「入り口」はおそらく、孤独感、虚無感、無意味感です。
 孤独感や虚無感はパニック発作とは少し違いますが、あまりに強い場合は生きる意味ごと持っていかれるので、生きる理由がなくなり、死ななければいけなくなります。
 ハイドース経験がある人はおそらくこの虚無と孤独の世界を知っているでしょう。そこには同時に神や神秘が待っている時もありますが、天国と地獄は真逆の場所にあるのではなく紙一重です。薄い紙一枚しか隔てていません。猛烈な神秘体験は、地獄のような死と虚無が隣り合わせなのです。

 孤独感の原因は、自我膨張/自我の崩壊です。自分が誰か分からない状態では、他人が誰かも分かりません。自分も他人も分からなければ、それらを結ぶ人間関係もありません。
 意識拡大は行きすぎると、必ずこの領域にたどり着きます。そこではすべてが分解され、原初のカオスに戻る。そこには「意味」はない。各項を結びつけて統合する自我がないので、意味を持たない要素だけが無数に漂っている。


  テレンスマッケナは、あるところで人生最悪のトリップのことを語っているが、それは”lack of all meaning”(全ての意味の欠乏)だったと言っている。マッケナは明らかに強い自我の持ち主なので、公には死にたかったなどとは言っていないが、「全ての意味の欠乏」の空間が死の危険を伴っていただろうということは想像に難くない。その時妻が近くにいたそうだが、いなかったらどうなっていたかは誰も分からない。
  サイケでニヒリズム体験をした人は少なくないと思う。だがニヒリズムは一種のタブーなので、誰も話したがらない。最も恐ろしいバッドトリップは、その内容の多くが抑圧されるので、バッドトリップ体験を語る人は、肝心の一番恐ろしい闇の部分を言わない場合が多い(故意的な時もあれば、抑圧されて思い出せない場合も多い)。
  バッドトリップは「影」の直接体験である。最も恐ろしい体験なのだ。影とはユングの概念だが、無意識の中の、文字通り「影」になっている、これまで放置してきた最も恐ろしい部分である。
 
  無意識内容を意識化させて意識を拡張するサイケデリックスは、体験者に影との対面を強制する。もちろんこれはセラピューティックな時もある。が、全ての影の体験がセラピューティックだと言うのはかなり間違っている無責任な考えである。最も暗い影、暗黒の中での「絶対悪」の体験は、人を殺す。

  

 



・your mate tomのバッドトリップ
 サイケ系Youtuberの your mate tomのトム氏は、ペルーでかなり自殺に近づいたアヤワスカ体験を語っています。史上最悪の、これ以上悪くなり得ないようなトリップでした。
 これは聞いているだけでけっこう辛くなる話です。
 トムはかなりのハイドースを飲んだようですが、サイケの自殺リスクはハイドースほど高いと言えます。ロードースなほど安全です。
 彼は飲んでからほんの5分くらいで効果を感じ始め、とてつもなく強力でした。最終的には幻視は完全に視野を包むものになり、逃げ場はなくなります。心拍と呼吸は早くなり、パニック症状が現れ始めます。
 彼は少しづつ「狂気」に陥り、基本的な概念も失われていきます。時間とは何?人生とは?人間関係とは?何一つ分からない。トリップはどんどんどんどん深く、重く、激しくなっていき、彼は心の奥底から抑圧されたドス黒い感情が込み上げてくるのを感じます。痛み、怒り、絶望、苦悩、恐怖、・・人類全体の集合的な苦痛・・
 (トラウマがバッドトリップの原因なのかどうかは分からないが、ある程度影響していると思われる。彼はトラウマの内容には触れてないがなんとなく示唆している)
 そして孤独。彼は虚無の中に一人だった。そして永久にそこに閉じ込まれたように感じる。彼は頭が壊れたと思った。完全に頭が壊れた。「頭が壊れた」始終叫び続けていたらしい。この精神病症状は永久に続くと思った。彼はコントロールを失い、助けを求めた。もうこの苦痛に終わって欲しかった。ただ終わって欲しい。泣いたり吐いたりした。
 彼は外に運び出されたが、激しい視覚でほぼ何も見えない。この時点で彼は自分を殺さなければいけないという結論に到達した。このループから逃れる唯一の方法は命を断つことだ。
 
 ・・効果が切れるまで我慢して待てばいいじゃん、とトリップしたことがない人は言うだろうが、そんな簡単な話ではないのだ。いざ自分がそれを経験すれば分かるが、世界が死と虚無に感じる時は、「ただ一時的にそう感じているだけだ」と思って納得する事はできない。本当にそれが世界の真理であるように感じる。これが最も恐ろしい体験なのだ。経験はすべて事実なのだから。(これを分からない人にうまく説明する方法を考えたいのだが、おそらく分からない人には分からないので限界がある・・)だから彼にとってはトリップが終わればいいという問題ではない。トリップ後も永久に生という名の苦痛が続くのだから、1秒でもそれを縮めたいに決まっている。時間という概念も分からないのだから、今の苦痛が永久に続くという確信がある。
 (今生きる理由を持っている人ほど、「どうせ死ぬならなぜ生きる?」・・という言葉に同意しないだろう。だが生きる理由がなくなった人にとっては、この言葉は完全に論理的な結論に思える。どうせ死ぬなら早くしたほうがいいわけだ・・)


 彼が最も悲しかったのは、家族や友を置いていくことになることだった。自分がいなくなることによる彼らの苦痛が見えたからだ。彼は彼らの苦痛を体験した。それはなによりも悲しかった。だが他に選択肢はないのだ・・ハンドガンがあれば頭をぶちぬいたという。
 男たちは彼をシャワーに当てたり、3人がかりで押さえたりした。彼は悪魔的なゲロを吐き、子供の頃から抱え込んでいるモノを吐き出しているように感じた。

 このようなケースは、幸運にも自殺を決行する手段がなかったから助かっている、と思う。危険物、自殺手段がある場合ほど成功することが増えてしまうだろう。
 このトムの例は、私が説明した「コンプレックスが自我を取り込むこと」と無関係に見えるかもしれないが、実は関係がある。

 そもそも彼が頭が壊れたと言うのは、自我が崩壊しているからだ。彼が「頭」と呼んでいるものは心理学的には自我のことになる。意識が拡大されすぎているので、本来の自我はほぼ残っていない。自我はあらゆる心的内容を統合する中心なので、それがないと精神の統合性が失われることになる。元々はひもで固く結んであった心的要素たちが、全部ばらけているようなものだ。
 あらゆる無意識内容と、それに伴ってコンプレックスが意識に侵入していて、自我はほとんど議席を獲得していない。 

 トリップの、「自分がコントロールしていない」感覚とは、要するにこういうことである。それは、実際に自我が意識の中心ではなくなっているからだ。統合性が失われた意識は、様々なありえないものを経験する。





 よく考えてみればほぼ全ての自殺がこの理論で説明できる。例えばブラック会社の社員のストレスによる自殺を考えてみよう。これは自我がコンプレックスに挟まれてほとんど力を失った状態である。自我はコンプレックスに逆らうだけの力を残していない。これが抑うつを引き起こす。このような人を助けるには自我を回復させる必要がある。会社を辞めろというアドバイスをするのは簡単だが、そう簡単にはいかない。会社をやめるような行動それ自体に強い自我がいるからだ。なぜなら会社を辞めるといった行為は自我に大きく影響するものだからだ。
 ただ逃げて終わりなのではない。だから逃げる空想より、ストレスやハラスメントの原因である相手の死を空想する。そのほうが根本的な解決に思えるのだ。
 
 参考図書・・河合隼雄「コンプレックス」。コンプレックスとの同一化(=憑依)などの問題について読めます。この本は「エリート社員」のような人が自殺する理由として、上のようにコンプレックスに挟まれて自我が力を失ってしまった状態という説明をしています。



 

 後日追記:自殺ケース
 サイケ使用で自殺した人を知っていると言う方から少し話を聞きました。ケースを聞いたごとに追加でここに書いていこうと思います。
 その人はこう言ってましたー誰かの家で四人でトリップしていて、3人がクラブに行くことにして、一人を残していったが、その残った人が戻ったときに死んでいたということです。
 詳しくは聞けなかったですが、他の3人との「別れ方」に問題があったのではないかと個人的に推測しています。
 残された人はとにかく強い孤独を感じたことでしょう。見捨てられた、世界に見捨てられて誰も助けてくれないと感じたのではないでしょうか。わざと見捨てた、本当は嫌われている、という悪性の妄想がエスカレートしていった可能性は非常に大きい。
 全て私の推測ですのでファクトとしては読まないでほしいですが、その人はおそらく内向的で、孤独があり、もしかしたら見捨てられ経験、育児放棄や虐待の経験があったかもしれません。少なくとも、そういうトラウマがあった場合自殺をかなり説明しやすくなります。