今回のテーマは端的にいうと「人はどう変わるのか」についてです。
変容の概念
精神「変容」という言葉は大きく二つの意味があると思うので、それを混同させないようにまずはっきりさせておこう。
一つはalteration(変化、改変)、もう一つはtranceformation(変身)。
前者は、サイケデリック物質を摂取した際の、精神が変化しているさまを表す言葉として、幻覚剤ユーザーの間で使われている意味。思考回路や感じ方などが普段と違うことを指す。
後者は、幻覚的なものとは無関係で、人格が変わることを意味する。特に、その人にとって「自分が誰なのか」が変わること。心理学で変容というとこちらを指す場合が多いと思う。
これからこの記事では、後者の、トランスフォーメーションのほうの意味で変容という言葉を使う。
トリップするのは簡単だが、本当に「人格が変容する」のは滅多なことには起こらない。
統合の概念
変容は基本的にはなんらかの統合を伴う。統合は英語でインテグレーションIntegrationというが、異質な二つのものが一つに合わさる、というような意味をイメージするといい。
ここでいう「異質なもの」とは何を指すかというと、自我と、自我にとっての非自我である。つまり「自分に属しているように感じるもの」と、「自分と属しているように感じないもの」。
トリップした後は、統合作業が必要になると言われている。トリップしたことがある人なら、心理学的なことに詳しくなくても、少しはこの意味がイメージできると思う。自分にとって「新しいもの」があまりに多く経験されたために、それまでの世界像などを一部捨てなければいけなくなる。それに伴って、それまで自我に属していた要素の一部も捨てることになり、過去の自分が部分的に死ぬことになる。
何かを失った時の心の穴を埋めることが出来なかった場合、それは統合が出来なかったことを意味し、酷い場合はいわゆる「適応障害」などの病名を付けられることになる。
人生における統合の例
統合が最もつらいものの一つとしては、親族や愛する人、ペットなどの死やその他の不幸、自分自身の不幸などがある。
がんの告知は悪名高い。初めはこの自我にとっての異物である「がんという現実」が、なかなか自我に取り込めない(=受け入れられない)。がんを告知された患者のかなり多くが、誤審や、他の患者とのすり替わりであることを主張したり、願ったりする。最初の数日が最もつらい体験になるが、二週間ほど経てば大抵の人はある程度精神状態が回復すると言われている。しかし二週間経っても安定せず、そのまま鬱や適応障害になるケースもある。最後の最後までガンを認めない人まで存在するらしい。これは全く統合が出来なかったということである。
最初の数日がもっともつらいという点に関しては、身内などの死も同様であるといえる。かつて自分の自我の重要な一部分を占めていた存在が急にいなくなると、自我にぽっかりと穴が生じるようなものだ。その人の死と同時に記憶も消えてしまえば統合問題はないのだが、その人が死んでもその人の記憶は何事もなかったかのように残り続ける。なので、死んだ人はある意味では、生きている人の心の中で生き続けているわけだ。
「その人がいる」が過去のものとなったとき、その自我部分を切り捨てて、その代わりに「その人がもういない」という新しい現実を自我に組み込まなければいけない。これが統合作業である。
「失ったという事実」と「失った実感」はかならずしも完璧に呼応するわけではないので、大切なものを失ってもはじめは実感がないことが多い。重要なものほど全く実感が得られないものだ。しかし次第に、苦痛としての実感が訪れる。この実感を苦痛の原因から、苦痛の原因でないものに変えるのも統合作業の一面だ。
人生における変容の例
大きな変容といえるような体験は、人生の中でそう何度も経験するものではない。
人生の中での最も大きな出来事としては、親の死や、第一子の誕生が挙げられる。サイケデリック体験もこれらに匹敵した出来事だとよく言われる。
親が子に与える心理的影響は大きい。どれくらい大きいかというと、それ以上大きい人間影響はないというくらい。親というものは無意識内に独自のイメージを持っており(深層心理学者はこれを親イマーゴなどと呼ぶ)、仮に人が「成熟して」、表面上、経済的に親から自立しても、親の心理的束縛、無意識的な影響から完全に自由になることは著しく難しい。
親の死というのは一種の神話的モチーフで、あらゆる人生経験の中でも最も高い象徴性を持っている。入学や卒業、引越し、結婚など、様々な人生の通過点、通過儀礼の中でも最も大きい。
親とどういう関係を築いていたか、自分の自我がどのように形成されていたかによって、このような出来事がもたらす変容は大きく変わってくる。人によってはかなり大きな変容になり、また別の人にとっては大差がなかったりする。準備が出来ていたか、望んでいたかどうかなどが与える影響も大きいだろう。
ところで、もし自然人生の中で親の死よりも変容性が高い出来事があるとしたら、それは第一子の誕生くらいしか考えられない。
第一子の誕生は、「自分が親になる」という体験で、一見誰も死んでいないように見えるが、実は「親じゃなかった自分」が死ぬという体験なのだ。第一子の誕生が人生で最も喜ばしい体験だったと語る人は非常に多い。だがこれはただ楽しいばかりではなく、自分より大事な他人(子供)が出来たという、他人の命への重大な責任を負う事であり、多くの人になんらかの変容を強要する事になる。
受精さえ起これば両親は生物学的には「親」だという事になるが、心理学的な「親」になるのは一種の変容体験であり、受精とともになれるわけではない。生物学的な親になっても、心理学的な親になれない人も存在する。
最も劇的な変容としての改宗や入信
自然人生における最も大きな変容の例として親の死と第一子の誕生を挙げたが、実は最も大きな変容は不自然な(?)経験によるものだ。最も「人が変わる」変容は宗教の改宗や入信だろうと思う。
家族関係の変化は大きな出来事ではあるが、宇宙観を根本から覆されるようなわけではないし(異議は認める)、自分の大部分はまだ残っている。
改宗はもっと劇的でダイナミックな変化かもしれない。哲学的に別の人になるようなもの。
一応補足するが、体だけの入信とか、信じたフリみたいなことは誰でも出来るし、それは改宗ではない。表面上の改宗と、心理学的な改宗は全く別々のものだ。
劇的な心理学的変容を伴う改宗や入信は宗教学では「回心」などとも呼ばれ、宗教学者の興味を引くものの一つであった
日本人はほとんど無宗教なので、改宗者などの話を聞いたり読んだりしたことが少ないかと思う。
私はYoutubeなどで、イスラム教徒から無神論者、キリスト教徒から無神論者、無神論者からキリスト教徒、イスラム教徒からキリスト教徒、という改宗を遂げた人の告白を観てきた。探せばいくらでもバリエーションはある。これらの変容体験の告白を聞いていると、やはりどれも共通点がある。それは人生の中でも最も劇的な出来事だったということだ。ある日気が向いた時に突然改宗したという人はいない。長い間思い悩み、苦労し、考え、学び、苦しみながらこの選択をしている。宗教的な家庭に生まれた人が宗教を変えるのはただごとでは済まされないことが多い。家族も含む過去の人間関係をほとんど破壊するようなリスクがある行為なのだから。
興味のある方のためにチャンネルの名前と改宗告白動画のリンクを載せておく。
イスラム→無神論 apostate prophet
キリスト→無神論 genetically modified skeptic
無神→キリスト (元の動画が削除された)
イスラム→キリスト (元の動画が削除された)
無神論者になることと、有神論者になること、どちらも変容であることには変わりがないが、その進む向きが違う点は面白い。
無神論者になる人は、理性や教養的な目覚めによるものが多い。genetically modified skeptic氏は、キリスト教の洗脳的とも言える教育のなかでキリスト教徒として育ったが、大学(しかもキリスト教大学!)に入ってから初めて「科学的方法」を学んだことによって、聖書の真偽性に疑いを持ち始めた。(それ以前は、進化論すらまともに学んだことがなく、進化論が「無神論者によるただの陰謀論」だというカルト系キリスト教の考え方を信じていた)
Acts17ApologeticsのDavid Wood氏のように、無神論者が、大人になってから有神論者になるというケースのほうはかなり珍しい。スピリチュアリティの獲得とでもいうような大きな変容が必要なはずなので、こちらの方が呪術的というか、一種の超自然的な変容だと言えるかもしれない(超自然的という表現が的確かは分からない)。こちらの場合、信仰を「失った」のではなく「得た」ので、そういう見方をすると、唯一の「獲得」の変容とも言える(無神論という信仰を失っているではないか、という反論もできるが、無神論は本質的に信仰ではない。信仰がないことだから)。
Daivd氏が、普通の人には起こらないであろう特殊な変容を経験できたのは、彼がある種の精神病持ちであったことが大きく関係していると思われる。(サイコパス診断をされている元受刑者だが、キリスト教徒になってからは落ち着いたという!)
どのケースにも共通していることは、彼らは自分の望む自己実現が出来たということだ。その自己実現のためには、過去の自分の一部を殺さなければならなかった。
過去の自分の一部が死ぬ時、新しい自分が生まれる。新しい自分が生まれたときに彼らのトランスフォーメーション(変容)は完了した。この変容を導いてくれたのは長く辛い統合の作業だった。
変容の概念
精神「変容」という言葉は大きく二つの意味があると思うので、それを混同させないようにまずはっきりさせておこう。
一つはalteration(変化、改変)、もう一つはtranceformation(変身)。
前者は、サイケデリック物質を摂取した際の、精神が変化しているさまを表す言葉として、幻覚剤ユーザーの間で使われている意味。思考回路や感じ方などが普段と違うことを指す。
後者は、幻覚的なものとは無関係で、人格が変わることを意味する。特に、その人にとって「自分が誰なのか」が変わること。心理学で変容というとこちらを指す場合が多いと思う。
これからこの記事では、後者の、トランスフォーメーションのほうの意味で変容という言葉を使う。
トリップするのは簡単だが、本当に「人格が変容する」のは滅多なことには起こらない。
統合の概念
変容は基本的にはなんらかの統合を伴う。統合は英語でインテグレーションIntegrationというが、異質な二つのものが一つに合わさる、というような意味をイメージするといい。
ここでいう「異質なもの」とは何を指すかというと、自我と、自我にとっての非自我である。つまり「自分に属しているように感じるもの」と、「自分と属しているように感じないもの」。
トリップした後は、統合作業が必要になると言われている。トリップしたことがある人なら、心理学的なことに詳しくなくても、少しはこの意味がイメージできると思う。自分にとって「新しいもの」があまりに多く経験されたために、それまでの世界像などを一部捨てなければいけなくなる。それに伴って、それまで自我に属していた要素の一部も捨てることになり、過去の自分が部分的に死ぬことになる。
何かを失った時の心の穴を埋めることが出来なかった場合、それは統合が出来なかったことを意味し、酷い場合はいわゆる「適応障害」などの病名を付けられることになる。
人生における統合の例
統合が最もつらいものの一つとしては、親族や愛する人、ペットなどの死やその他の不幸、自分自身の不幸などがある。
がんの告知は悪名高い。初めはこの自我にとっての異物である「がんという現実」が、なかなか自我に取り込めない(=受け入れられない)。がんを告知された患者のかなり多くが、誤審や、他の患者とのすり替わりであることを主張したり、願ったりする。最初の数日が最もつらい体験になるが、二週間ほど経てば大抵の人はある程度精神状態が回復すると言われている。しかし二週間経っても安定せず、そのまま鬱や適応障害になるケースもある。最後の最後までガンを認めない人まで存在するらしい。これは全く統合が出来なかったということである。
最初の数日がもっともつらいという点に関しては、身内などの死も同様であるといえる。かつて自分の自我の重要な一部分を占めていた存在が急にいなくなると、自我にぽっかりと穴が生じるようなものだ。その人の死と同時に記憶も消えてしまえば統合問題はないのだが、その人が死んでもその人の記憶は何事もなかったかのように残り続ける。なので、死んだ人はある意味では、生きている人の心の中で生き続けているわけだ。
「その人がいる」が過去のものとなったとき、その自我部分を切り捨てて、その代わりに「その人がもういない」という新しい現実を自我に組み込まなければいけない。これが統合作業である。
「失ったという事実」と「失った実感」はかならずしも完璧に呼応するわけではないので、大切なものを失ってもはじめは実感がないことが多い。重要なものほど全く実感が得られないものだ。しかし次第に、苦痛としての実感が訪れる。この実感を苦痛の原因から、苦痛の原因でないものに変えるのも統合作業の一面だ。
人生における変容の例
大きな変容といえるような体験は、人生の中でそう何度も経験するものではない。
人生の中での最も大きな出来事としては、親の死や、第一子の誕生が挙げられる。サイケデリック体験もこれらに匹敵した出来事だとよく言われる。
親が子に与える心理的影響は大きい。どれくらい大きいかというと、それ以上大きい人間影響はないというくらい。親というものは無意識内に独自のイメージを持っており(深層心理学者はこれを親イマーゴなどと呼ぶ)、仮に人が「成熟して」、表面上、経済的に親から自立しても、親の心理的束縛、無意識的な影響から完全に自由になることは著しく難しい。
親の死というのは一種の神話的モチーフで、あらゆる人生経験の中でも最も高い象徴性を持っている。入学や卒業、引越し、結婚など、様々な人生の通過点、通過儀礼の中でも最も大きい。
親とどういう関係を築いていたか、自分の自我がどのように形成されていたかによって、このような出来事がもたらす変容は大きく変わってくる。人によってはかなり大きな変容になり、また別の人にとっては大差がなかったりする。準備が出来ていたか、望んでいたかどうかなどが与える影響も大きいだろう。
ところで、もし自然人生の中で親の死よりも変容性が高い出来事があるとしたら、それは第一子の誕生くらいしか考えられない。
第一子の誕生は、「自分が親になる」という体験で、一見誰も死んでいないように見えるが、実は「親じゃなかった自分」が死ぬという体験なのだ。第一子の誕生が人生で最も喜ばしい体験だったと語る人は非常に多い。だがこれはただ楽しいばかりではなく、自分より大事な他人(子供)が出来たという、他人の命への重大な責任を負う事であり、多くの人になんらかの変容を強要する事になる。
受精さえ起これば両親は生物学的には「親」だという事になるが、心理学的な「親」になるのは一種の変容体験であり、受精とともになれるわけではない。生物学的な親になっても、心理学的な親になれない人も存在する。
最も劇的な変容としての改宗や入信
自然人生における最も大きな変容の例として親の死と第一子の誕生を挙げたが、実は最も大きな変容は不自然な(?)経験によるものだ。最も「人が変わる」変容は宗教の改宗や入信だろうと思う。
家族関係の変化は大きな出来事ではあるが、宇宙観を根本から覆されるようなわけではないし(異議は認める)、自分の大部分はまだ残っている。
改宗はもっと劇的でダイナミックな変化かもしれない。哲学的に別の人になるようなもの。
一応補足するが、体だけの入信とか、信じたフリみたいなことは誰でも出来るし、それは改宗ではない。表面上の改宗と、心理学的な改宗は全く別々のものだ。
劇的な心理学的変容を伴う改宗や入信は宗教学では「回心」などとも呼ばれ、宗教学者の興味を引くものの一つであった
日本人はほとんど無宗教なので、改宗者などの話を聞いたり読んだりしたことが少ないかと思う。
私はYoutubeなどで、イスラム教徒から無神論者、キリスト教徒から無神論者、無神論者からキリスト教徒、イスラム教徒からキリスト教徒、という改宗を遂げた人の告白を観てきた。探せばいくらでもバリエーションはある。これらの変容体験の告白を聞いていると、やはりどれも共通点がある。それは人生の中でも最も劇的な出来事だったということだ。ある日気が向いた時に突然改宗したという人はいない。長い間思い悩み、苦労し、考え、学び、苦しみながらこの選択をしている。宗教的な家庭に生まれた人が宗教を変えるのはただごとでは済まされないことが多い。家族も含む過去の人間関係をほとんど破壊するようなリスクがある行為なのだから。
興味のある方のためにチャンネルの名前と改宗告白動画のリンクを載せておく。
イスラム→無神論 apostate prophet
キリスト→無神論 genetically modified skeptic
無神→キリスト (元の動画が削除された)
イスラム→キリスト (元の動画が削除された)
無神論者になることと、有神論者になること、どちらも変容であることには変わりがないが、その進む向きが違う点は面白い。
無神論者になる人は、理性や教養的な目覚めによるものが多い。genetically modified skeptic氏は、キリスト教の洗脳的とも言える教育のなかでキリスト教徒として育ったが、大学(しかもキリスト教大学!)に入ってから初めて「科学的方法」を学んだことによって、聖書の真偽性に疑いを持ち始めた。(それ以前は、進化論すらまともに学んだことがなく、進化論が「無神論者によるただの陰謀論」だというカルト系キリスト教の考え方を信じていた)
Acts17ApologeticsのDavid Wood氏のように、無神論者が、大人になってから有神論者になるというケースのほうはかなり珍しい。スピリチュアリティの獲得とでもいうような大きな変容が必要なはずなので、こちらの方が呪術的というか、一種の超自然的な変容だと言えるかもしれない(超自然的という表現が的確かは分からない)。こちらの場合、信仰を「失った」のではなく「得た」ので、そういう見方をすると、唯一の「獲得」の変容とも言える(無神論という信仰を失っているではないか、という反論もできるが、無神論は本質的に信仰ではない。信仰がないことだから)。
Daivd氏が、普通の人には起こらないであろう特殊な変容を経験できたのは、彼がある種の精神病持ちであったことが大きく関係していると思われる。(サイコパス診断をされている元受刑者だが、キリスト教徒になってからは落ち着いたという!)
どのケースにも共通していることは、彼らは自分の望む自己実現が出来たということだ。その自己実現のためには、過去の自分の一部を殺さなければならなかった。
過去の自分の一部が死ぬ時、新しい自分が生まれる。新しい自分が生まれたときに彼らのトランスフォーメーション(変容)は完了した。この変容を導いてくれたのは長く辛い統合の作業だった。
コメント